マッチブック

出逢いは橋のこちら側

運命の相手が30歳以上年下でないのなら、その人はもうとっくにこの世に生まれて生きてるはず。それならどうしてまだ会えないのか、神様は随分もったいぶるのねと友人と話していたのも、今となっては懐かしい独身時代のことです。ドラマなんかではよくある話、2人が出逢う前に、街角ですれ違っていたとか、カフェで隣の席に座っていたとか、まだ見ぬ互いの出逢い前の接点、きっと何回も。
彼と出逢って、なにもかもが変わりました。恋をすると、世界の見え方が変わるなんてよく言いますが、そんなレベルじゃありません。恋ならきっと色褪せてしまうでしょう。彼というチャンネルを通して世界を見ると、その美しさにいつだって息を飲むのです。それまでに赤色に見えていた色が、本当は水色だったということを知るくらいに、それは驚きと感動に満ちた発見の連続です。
ひとりだったときも、毎日ふわふわと楽しく暮らしていました。仕事も食事も飲み会も、リゾートも、したいことはなんでも自由にやってきました。それでも、自分ひとりの目から見る景色はいつでも似たような、幸せな色のフィルターがかかっていました。それはやさしく、あたたかく、そして、なんとなくぼんやりとしたような気だるい世界観を映し出していました。
もの足りない、その一言に尽きたのでしょう。
人生の橋の向こう側で、まったり、ゆったり、のんびりと生きていた時間に、稲光のような衝撃を伴った喜びが射して、鋭く、潔く、終止符が打たれました。
友人の紹介、よくある話です。街はずれのカフェ、木でできた椅子とテーブル。暖色系のライトが照らす、瑞々しいフルーツと新鮮なコーヒー豆。まるでドラマや映画のセットのようなその店で、彼と出逢いました。瞬間、それまでの生活は橋の向こう側に遠のきました。見えないくらい、遠くに。純真な光を放つ彼の瞳、空間を浄化するようなやわらかい物腰とその気配。素晴らしいものに出逢ったという、そのこと自体の喜びで、魔法を使える気さえしたのです。
こんなふうに言葉にしても、これは恋とは違うのです。恋にもいろいろなスタイルがあると言ってもいいのかもしれません。この場合、焦がれるのでもなく、嫉妬するのでもなく、独り占めしたいとも思わずに、ただ味わいつくすように、その人との関わりを楽しんでいるのです。そして誇りに思うのです。できることなら、世界中に紹介してまわりたいくらいの、たまらなく美しい彼という存在を。橋のこちら側は、鮮やかで、激しく、生き生きとした現実的な世界でした。地に足をつけて暮らしています、ひとりのときよりも。彼がいる、それだけでもう、心強くあれるのです。昼も、夜も、今日も明日も。